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奥出雲・三沢で「要害山山城祭り」 小学校統合後も伝統の武者隊継続

三沢地区の小学校高学年の児童たちが武者姿で要害山に登った

三沢地区の小学校高学年の児童たちが武者姿で要害山に登った

 奥出雲の三沢地区にある「要害山(三沢城跡)」(奥出雲町三沢)で5月31日、「要害山山城祭」が行われ、例年通り三沢地区の小学生が甲冑(かっちゅう)姿になって山へ登り、山頂で出陣式を行った。主催は三沢城跡保存会。

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 1302年、信州飯島郷より、清和源氏の流れをくむ飯島為長(為仲)が三沢庄雨川に来住。1305年、仁多郡はもとより島根半島まで一望できる要害の地、鴨倉山に三沢城を築城して移り、姓を飯島から三沢に改めたことが起源となる。戦国時代には広島から攻めてくる毛利氏に対抗する尼子氏の山城の一つとして重要な役割を果たしていたという。「山城祭」は当時をしのび毎年行われている。

 当日、要害山の登山口にある「みざわの館」(奥出雲町河内)に集まり、地区の小学生13人が手作りの甲冑を身にまとった。松江武者応援隊の1人を含む大人6人も甲冑をまとい、太鼓を担ぐ3人とほら貝を吹く2人に加え、三成幼児園の園児や布勢幼児園の園児、子どもたちの親などを含む100人余りも「みざわの館」に集まった。

 9時になると太鼓を合図に鬨(とき)の声を上げ、太鼓とほら貝を先導に400メートル余りの山道を山頂目指して行列した。途中、本丸跡で休憩。水分を補給した後、山頂を目指し行列を続けた。山頂に到着すると山頂広場を3周し、三沢城址の碑の前に設けられた祭壇の前に整列した。

 大将役の児童が中央に陣取り出陣式を行った。大将が干しアワビ、勝ち栗、昆布を食べる三献の義の後、弓矢をさずけ、「エイ、エイ、エイ、オー、オー、オー」と鬨の声を上げた。出陣式の後、山城祭りの神事を行った。

 最後にあいさつした同保存会の白根裕文会長は「今年は三沢小学校が閉校となり仁多小学校に統合され、どうなるのかと思っていたが、地区の小学生が『今年もやるよ』と言ってくれてうれしかった。三成幼児園や布勢幼児園からたくさんの園児が来てくれた。『小学校がなくなって寂しい、寂しい』と言ってばかりでなく、子どもたちはより多くの子どもたちと交流できるし、今年はこうして三成や布勢の子どもも来てくれて、学校の統合をプラスに変えることができたのでは」と振り返る。

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