雲南市出身の須山勇希選手が陸上競技走り幅跳びで東京デフリンピックに出場することになり、須山選手が小学生のころ所属していたサッカースポーツ少年団木次ラ・スリーズ(現雲南ラ・スリーズ)の保護者とOBが10月5日、三刀屋木次IC三刀屋側入り口交差点付近に応援の横断幕を掲げた。
須山選手が小学6年生だった2013(平成25)年度にトップチーム保護者代表だった飯塚博之さんが発起人となり、同チームの同期生、OB、当時の保護者、指導者、木次ラ・スリーズを受け継いだ雲南ラ・スリーズの関係者などに声をかけ、横断幕掲出が実現した。飯塚さんは「長男が須山さんとトップチームで一緒にプレーしていた。春の大会では出雲支部大会で大敗し県大会へ進めず、どん底の思いをしたが、秋の大会では県大会出場が懸かった試合を3-1で勝ち、県大会でもベスト8に入ることができた。その試合で決勝点となる2点目を決めたのが須山さんだった。この年がとても印象に残っている」という。
2003(平成15)年に木次ラ・スリーズの設立に関わり、当時も指導をしていた土谷剛志さんは「須山さんはとにかく足が速かった印象。ピッチでは補聴器を外すので、プレーの合間に周りを見たり、コーチや仲間がジェスチャーで伝えようとするのを理解しようと努力したりする選手だった」と振り返る。共にプレーした延谷敬龍(けいたつ)さんは「ホワイトボードに文字を書いたりマグネットを使ったりしてコーチの指示を伝えるなど、お父さんのサポートもすごくあり、本人も努力していて、結果を残そうという気持ちがチームのメンバー全体に伝わった。それによって他のメンバーも小学生なりに工夫し合っていたことを思い出す」と話す。
中学から島根県立松江ろう学校に進んだ須山さんは、同校に陸上部と卓球部しかなかったため、元々走ることが好きだったことから陸上部に入った。100メートルを専門で始めたが、顧問の教諭から勧められ走り幅跳びも始め、今は走り幅跳びに専念している。須山さんは「11月に開かれる東京デフリンピックでは入賞すること、メダルを取ることが目標。引退後は、子どもたちを中心に何らかの形で還元していきたい」と話す。
飯塚さんは「デフリンピックはあまり知られていない。これを契機に地域の皆さんにもデフリンピックに感心を持ってもらいたい」と話す。
東京デフリンピックは11月15日に開会。陸上競技は17日~25日に開催される。